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石にまつわるいくつかの出来事

〜プロフィールに代えて 長樹ラパン



「昨日は何もなかったのに、今朝見たら石にヒビが入っていた」
「お気に入りのアクササリーが急に消えてなくなってしまいました」

 開運なびには、こうした体験談が多く寄せられてきます。
 さすがに十余年も石を扱う仕事を続けていると、「ごく普通に起きる現象なのだ」と自然に受け止められます。
 しかし、天然石を手にして間もない方の場合、こうした不思議現象に出会ってしまうと、驚きと同時に、不吉さを感じてしまう方が多いようです。
 その気持ちは、とてもよく分かります。
 私も、人生の節々で石との不思議な出会いがあり、ときには石を見失ったおかげで事故に巻き込まれるのを避けられ、今ではこうして石を扱う仕事までしているからです。

 ここではプロフィール代わりに、私自身の石にまつわる物語を書かせて頂こうと思います。
 少々長くなりそうですが、どうぞお付き合いくださいませ。

【1】 バブル
【2】 タイムズスクエアの無意味な空間
【3】 割れる玉
【4】 ドクターワン
【5】 散らばる玉
【6】 ゲイブリエル
【7】 水晶の船
【8】 開運なび







【1】 バブル

 1980年代の東京で二十代を迎えた私は、世間の風潮になじめず、会社勤めに挫折し、ガールフレンドにもふられ、惨めで、明日に希望を見いだせない、ロクでもない若者でした。

 勤めていた小さな出版社では、終電で帰るのが当たり前のハードな毎日。
 給料は生活するのがやっとで、アパートにたどり着いても風呂はなく、すでに銭湯は閉まっているため、100円で10分間使えるコインシャワーで汗を流す日々です。
 時間制限のある狭い空間でお湯を浴び、湯気にむせかえりながら、足の裏からどうしようもない疲労感が沸き上がってきたのを覚えています。

 一方で、日本経済は最高潮に達しようとしていました。
 会社の壁には、NTT株が売り出される旨の張り紙が貼られ、隣の席に座っていた同僚は、仕事中に電話で株の売り買いをしていました。
 大学時代の友人は、都内にあった自宅を父親が売ったそうで、「一家離散だよ」と笑いながらも高級マンションに一人で住み、BMWを乗り回していました。
 私が住んでいたアパートは空き室が目立ち始め、地上げに遭うことは時間の問題でした。
 そういう時代だったのです。

 どれだけ懸命に働いても、この国で幸せになることなどできない。
 意欲を失い、仕事を辞めた私は誰とも話ををすることがなくなり、半分引きこもりのような状態になりました。
 この先どうするあてもなく、ある日、気まぐれに神社にお参りし、気まぐれに水晶玉のお守りを買いました。
 帰り道、気まぐれに寄った本屋で、たまたま『ニューヨークに住む』というタイトルの本が目に取まり、買って帰りました。

 半年後、大きなスーツケースを押し、楽園から追放された失格者のような心を抱えて、 誰かに見送られることもなく、成田空港からそっとこの国を離れました。

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【2】 タイムズスクエアの無意味な空間

 異国暮らしは楽しいものです。若ければなおさらです。
 目に映るもの、耳に聞こえること、ひとつひとつが目新しく、興味深く、何より今までとはまったく違う考え方、価値観があることには、心からホッとさせられました。

 ニューヨークに移り住んだ最初のころ、タイムズスクエアにあったコーヒーショップに入ったときのことを今でも覚えています。
 古びた店内は広々していて、その割にはテーブル数が少なく、テーブルとテーブルの間が不必要に広く取られており、おまけに店の特等席になりそうな窓際のコーナーは何にも使われていず、ただぽっかりと空いているのです。
 私はその無意味な空間を眺めながら、信じられない気持ちでした。アメリカ人とは、大らかなのか、それとも単にコスト計算をする能力がないのか・・・、と。

 東京の繁華街でコーヒーショップを経営するなら、無駄な空間や経費をできるだけ削いでテーブルを詰め込み、いかに効率的に収益を上げるかが優先されるでしょう。
 そんな経済的効率性をまったく無視した空間が、資本主義の王者たるアメリカ合衆国の経済の都、ニューヨークのど真ん中にあったわけです。

 考えてみれば、80年代の日本で私がどうしようもない惨めさを感じていたのは、社会全般に「いかに儲けるか」という効率第一主義があり、その搾取対象となっているのは自分自身であることに薄々感づいていたからでした。

 タイムズスクエアのコーヒーショップにぽっかり空いた無意味な空間の前で、私は解放され、自由でした。
 これがアメリカなんだ、と一人で頷きました。

 もちろんそれは思い込みに過ぎなかったことは、後になって気づくわけですが。

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【3】 割れる玉

 最初こそ幽霊の出そうなアパートメントホテルで寝起きし、飲食店の皿洗いで日銭を稼ぎましたが、いろいろと事情がわかってくるにつれて、生活は徐々にステップアップさせることができました。
 日系の出版社にもぐり込んだり、つてをたどってビザを取得して、日本メディアのコーディネートをする会社で働くことができるようになったのです。
 住処も、クィーンズ地区にあった台湾人の下宿から、マンハッタンのアップタウンウエストにスタジオ(ワンルーム)を借りて一人暮らしできるようになりました。

 そんなある日、いつものように仕事に出かけようとすると、いつものものが見当たりません。
 玄関脇に、99セントショップで買った籐製の小さなカゴが置いてあり、その中にいつも鍵の束とお守りを入れていました。あのとき気まぐれに立ち寄った神社で買った水晶のお守りです。私はそれを紐の付いた小袋に収め、外出するときはいつも首からぶら下げていました。
 当時のニューヨークは以前より安全になったとはいえ、日本の治安の良さには比べようもなく、実際、のんびりした日曜の午後に強盗に襲われた友人もいました。
 気休めとはいえ、外出するときにお守りを身につけるのは習慣になっていたのです。

 ところがその日は、カゴの中に鍵の束だけしか見当たりません。おかしいなと思い、床に落ちていないか見渡しましたが、ありません。
 もしかしたらいつものように玄関で外さずに、家の中やバスルームで外したのかも知れないと思い、テーブルやカウチの下、バスルームの中や洗濯物の詰まった袋までひっくりかえして探してみましたが、見つかりません。
 イライラしてきました。
 出社時間はどんどん過ぎていくのに、俺はいったい何をしてるんだ? お守りがないだけで外に出られないなんて馬鹿げてる! 自分を罵りました。
 もういいから出かけようとしましたが、それにしても妙な感じがします。
 もう一度冷静になって、昨日帰宅したときのことをゆっくり思い出そうとしました。
 やはり、どう考えてみても、お守りはいつものカゴに入れたはずです。
 だとしたら、それは、そこに、なければいけない。

 はっきりした確信をもって、私はもう一度、籐製のカゴをのぞき込みました。

 すると、あるのです。
 カゴの中ではなく、まるでカゴの脇に隠れるようにしていたのです。
 最初に何度もカゴの周囲まで見まわしたはずなのに。

 けれどとにかく急がなければとお守りをつかむと、今度はいつもとまったく違う感触でドキっとさせられました。
 小袋を空けてみると、中の水晶玉は割れていました。何か大きな圧力でも加わったかのように。

 気味悪くなった私はそれを放り投げ、再び悪態をついてアパートを飛び出しました。  ストリートを走って地下鉄の入り口まで降りると、今度は電車が不通になっているらしく、人でごったがえしています。
 まったくなんで今日はこんな目に遭うのだろうと、またしても悪態ばかりついて、とにかく会社に電話を掛けたまでは覚えています。頭に血が上ったせいか、その後のどうしたかはよく覚えていません。
 後になって事実を知ったときは、逆に血の気が引きました。
 ニューヨークの地下鉄は日本ほど時間に正確に来るわけではありませんが、私はほぼ一定の時間帯に地下鉄に乗って出勤していました。
 その時間帯に走っていた電車が、脱線事故を起こしていたのです。

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【4】 ドクターワン

「アー、ふしぎ、ない」
 ドクターワンはいつも通り甲高い声で、何でも知っている風に宣言しました。そしてデスクの向こう側からバッグを引き寄せるとごそごそ中を探り、水晶の数珠ブレスを取り出して私に渡してくれました。
「アナタ、あげる。タスケ、られる。でしょ」

 ドクターワンは上海出身のやせた女性鍼灸師で、日本人の旦那さんと一緒に、ミッドタウンで狭い鍼灸院をやっていました。
 私がいっとき下痢が止まらなくなったときに診てもらって以来、なぜだか気に入られてしまい、無料で施術してくれるようになったのです。

 割れた水晶玉の件を話すと、彼女は特別驚くでもなく、ハイハイという感じで頷きブレスを渡してくれたのです。
 私としては、まだそのころは水晶のブレスを腕につけることなどためらわれましたし、急に手渡されてもちょっと困った感はあったのですが、まあ、ドクターワンのことだからとそのまま受け取り、お守り代わりにすることにしました。

 普段世間話をしているときのドクターワンは、コケティッシュに聞こえる日本語を話し、見栄っ張りでプライドが高く、ちょっと強引な感じでした。患者さんには「ワタシ、ユーメーな、センセーよ」が口癖で、マッサージを担当する旦那さんに対してはときおり幼女のように感情的になったりもします。
 しかしいざ鍼の施術となると、空気感が、がらりと変わるのです。
 静かに、何かを読むようにゆっくりと、ふわっと動いて、的確に鍼を打っていく。
 どこか霞が漂うような雰囲気のなかで、わたしはしばし眠ってしまうのが常でした。

 ドクターワンの鍼灸院はあまり繁盛しているわけではなく、一日に数人患者が訪れてくれれば大繁盛という程度でした。
 私は宣伝用のチラシを作って日系食料品店の掲示板に貼ってあげたり、ニュージャージーにある大きな日系スーパーの駐車場で配ったりもしました。それがどのくらい効果があったかは疑問ですが、ドクターワンはずいぶんと喜んでくれました。

 多いときには毎週ドクターワンの治療院を訪れるようになり、仕事を終えると夕暮れに三人でチャイナタウンで食事をしたり、ときにはたくさんの青菜や、鮭を一匹丸ごとぶつ切りにした袋を買い込んで、ドクターワンの自宅で料理をごちそうになることもありました。

 自宅は古びた煉瓦造りのアパートの一室で、外観は赤っぽい刑務所のようでしたが、部屋の中は絵に描いたような中華な世界が広がっていました。
 漢詩が書かれた大きな掛け軸や、赤い房の付いた工芸品、獣をかたどった古びた彫刻、黄色い石の玉、唐子の描かれた絵画・・・。
 これらは一つひとつ意味があるもので、勝手に動かしたり向きを変えてはいけないんだよと、旦那さんがこっそり耳打ちしてくれました。

 ドクターワン夫妻には子供はいませんでしたが、かなりご高齢の母親が同居していました。
「おかあーさん は、ユーメーな、フェンシュイ(風水)マスター よ」
 紹介してくれたその先に、一人がけ用のカウチに収まった小さなおばあさんがいました。なぜかその場所だけが竹藪でも茂っているように薄暗い感じのする人でした。
 おばあさんの膝の上には、そこがいつもの居場所なのでしょう、縞模様の猫がいて、ぴょんと飛び降りると、ゆっくり私の近くにやってきて顔を見上げ、片手で私のズボンの裾をさわりました。
「アー、ミミ、気にいったよ」ドクターワンが笑って言いました。
 それは私が受け入れられた合図だったようです。ミミというその猫は、よそから人がくるとすぐに隠れてしまうのに、ということでした。

 テーブルにいっぱい広げられた夕食をごちそうになった後、はじめは社交辞令で、あちこちに飾られた置物について「これはどういったものですか」と尋ねると、ドクターワンは喜んで、半ば自慢げに、老いた母親の言葉を通訳しながら、「幸運を呼ぶアイテムとその置き方」について、延々と話し続けてくれました。
 興味を覚えた私は、翌週にはノートまで携えて話を聞くようになり、それを喜んだドクターワンと母親が、また延々と話す、そんな週末がかなり続きました。
 風水というものを学んだのがこの頃です。

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【5】 散らばる玉

 日常は平凡な積み重ねでも、節目となるような出来事が起こるときはいつも突然で、立て続けに起こるものです。
 ただそれは、人間が知り得る範囲でそう感じるだけで、鏡の裏側では次の事態が着々と進行しているものなのでしょう。

 ある日の夜、私は鞄の奥にしまっておいた水晶のブレスを取り出してみました。
 ドクターワンからもらったものです。
 大切にしてはいましたが、相変わらず腕に付けることはせず、バッグの中にお守り代わりに入れて持ち歩いていただけでした。
 それがその日、何が理由だったかは思い出せないのですが、バッグから取り出し、腕にはめてみようとしたのです。
 するとそれは、まるで縛り目が緩んだかのようにするすると私の腕からほどけ、フローリングの床に落ちた玉は噴水のように飛びはね、散らばっていきました。
 一瞬だけれども、スローモーションのような出来事でした。

 床にはいつくばるようにして散らばった玉を探し、広い集めました。
 跳ね回った玉はかなり遠くまで散っていましたが、広い部屋ではないので、ほとんど拾い集めることはできましたが、しかし、もともといくつあったのかも分からず、いくつか足りないことは明らかでした。
 仮に玉が全部揃ったとしても、自分で結び直すことなどできません。
 なんとなくイヤな気はしたのですが、まあ、そのうちドクターワンの所にもっていけば何とかしてもらえるだろうとムリヤリ思い込み、その日はベッドにもぐり込みました。

 夜中に電話が鳴り、翌々日には急遽日本行きの便に乗りました。

 成田から新幹線に乗り、タクシーに乗って教えられた病院に着き、教えられた部屋の扉を開けると、大柄な兄の身体がベッドの上に広がり、周りを囲んだ機械やチューブが奇妙な音を立てていました。出来の悪いドラマでも見ているようでした。

 家族による交代制の看病が続き、ちょっとした変化を皆で一喜一憂しながら数週間過ごした後、兄の身体は力尽きました。
 私の肩で、もっとも親しい人が泣いていました。

 いくつかの儀式を終えた後、私は再び飛行機に乗って自分の住処へと戻りました。

 メールボックスは満杯で、床をモップがけしていた管理人のルイが、「ヘーイ、しばらく見なかったね」とスパニッシュ特有の人なつっこい笑顔をくれました。
 その笑顔がまぶしく、まあねと適当に応えてから、疲れ切ったままいくつかの手紙をちらちら眺めていると、差出人がドクターワンとなっているものがありました。

 『ミミが亡くなってしまったので、カリフォルニアに行くことにしました』

 日本語でそう書いてありました。何度が電話したけれど出ないので手紙を書いた、 向こうで落ち着いたらまた連絡します、と。

 奇妙な理由でした。
 猫が死んだからカリフォルニアに行く?

 可愛いミミの様子や、ドクターワン、旦那さん、そして風水師のおばあさんの顔がゆっくり浮かび、消えていきました。

 それ以来今日まで、残念ながらドクターワンとは再会を果たせていません。

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【6】 ゲイブリエル

「そんなものはいつまでも持ってないで、さっさと処分するに限る」

 ばらばらになった水晶ブレスを見て、ゲイブリエルはこともなげに言いました。
 日本人のように未練がましい部分がまったくなく、どこかフンっと言った調子で、きわめてドライでした。

 ゲイブリエルとは、石について多くのことを語って聞かせてくれた、いわば私にとってのストーン・マスターです。
 その頃は、週末になるとグリニッジビレッジの空き地に白いテントが張られ、大きな水晶のクラスターや、他の天然石の原石が即売されることがあり、そこで髭もじゃの初老の男に声をかけられ、それがゲイブリエルでした。
 自称、引退したコロンビア大学のプロフェッサーで文化人類学者。猫背だけれど大柄で、目には偏屈そうな色を浮かべ、いつも理路整然と話すけれど、急に脈絡のない突飛なことを口走り、一人で大声で笑い続けるときがある変人でした。

 水晶のブレスがほどけてからいくつかの出来事があり、私はそれを直してまた持ちたいと考え、チャイナタウンのお土産屋さんや、魔法ショップめいた所まで回ってみましたが、あまりにも簡単な作りなためかどこも引き受けてくれず、しばらく放っておいたのでした。
 ゲイブリエルにそのほどけたブレスを見せると、「ユーにぴったりの石がある」と言われ、イーストビレッジにある彼のアパートに来るよう誘われました。
 最初は正直警戒しました。
 しかしどうも見た目ほど怪しいわけではなく、どちらかと言えば生活の足しに自分のコレクションを売りたかったのかも知れません。
 と言うのは、彼のアパートの中にはおびただしい数の天然石で溢れていて、私もその後何度も訪れるようになり、結果的にかなりの点数を買うことになったからです。

 彼の部屋でもっとも存在感があったのは、リビングのコーナーに鎮座していた大きな水晶の原石でした。
 胴体部分はなく、先端の尖った部分だけなのにひと抱えもあるような大きさで、おまけに中央部に入ったクラックにギラギラとした虹が浮かんでいました。
 初めて彼の部屋に入った瞬間から、目が釘付けになり、心臓が高鳴りました。ちょっと怖かったからです。それは石ではなく生き物のようでいて、どう見てもドル紙幣の裏側に描かれた「ピラミッドの目」にそっくりでした。
 ドギマギしている私を見て、ゲイブリエルは「昔を思い出したんだな」と訳の分からないことを言ってゲラゲラと面白そうに笑い、冷蔵庫からビールを取り出してひと息に飲んでから、私にも勧めてくれました。
 そして石と植物で満杯になっている狭い庭に置かれたチェアに座り、またビールを旨そうに飲むと、おもむろに語り出しました。
 石と人の記憶について、面の幾何学的構造について、星々との引き合いについて。
 石が自らを補修し、成長し、やがて死を迎えることについて。
 石を薬として扱うシャーマンの治療について。アフリカの部族に伝わる石のアクセサリーを使った家系図について。古代エジプトの知られざる王と失われたユダヤの民について。

 確かな内容などひとつもなく、酔っ払いの戯れ言のようでもあり、神智学の講義のようでもあり、はるか昔の記憶をたどるようでもあり、アジア人の若者から小銭を巻き上げるための詐欺師の口上のようでもありました。
 ひとつだけ確かなことがあるとすれば、私自身がゲイブリエルという人間を気に入り、週末になると虫に刺されながら彼の話を聞くのを楽しんでいたということなのでしょう。

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【7】 水晶の船

 手元に、いろいろな石が集まり始めました。
 多くはゲイブリエルから譲り受けたものであり、私自身がいろいろな場で買い求めたものです。

 この頃から私は、いわゆるニューエイジと呼ばれる世界に興味を覚え、前世療法で有名なブライアン・L・ワイス博士のセミナーに出かけたり、自然食を扱うスーパーで買い物をしたり、クリスタルショップでヒッピーみたいな衣装を着た若い女の子から波動を与えると言われて頭の上で石をくるくる回されたり、インドに聖者がいると聞けば飛行機に飛び乗って見物に行ったりしていました。
 それはおそらく、アメリカという、物質文明の極地のような社会に居て、このままここで年齢を重ねるべきか、他の道はあるだろうか、という模索だったような気がします。

 夜見る夢が変わってきました。
 以前は、自分が日本に一時帰国していて、必死になってニューヨークに戻ろうとする夢をしばしば見ていました。ここは自分の居場所ではない、早くエアチケットを買って戻らなければと焦るけれど、旅行会社に電話をかけようとしてもうまくボタンを押せず慌てている。そんな夢。

 ところがこの頃から、夢の内容ががらりと変わり始めました。
 マンガのように「船が出るぞ〜」というかけ声が響き渡り、私は必死になって港へ走り、桟橋からまさに離れた船に危うく飛び乗ります。ぜいぜい息をつきながら見ると、乗った船はハーキマーダイヤモンドのように両端が尖った水晶で、水平線に沈みかけた太陽に向かって進んでいる・・・。
 細かいシチュエーションは違えど、ほぼこんな感じです。

 おそらく、精神的に二者択一を迫られていたのだろうと思います。
 このままアメリカで暮らしていこうとするなら、グリーンカードや市民権といった法的な問題よりも、「心や思考までアメリカ人になりきらなければやっていけない」と分かってしまったからです。
 とくにニューヨークという場所は特殊なのかもしれません。日常のほんの些細な事柄まで、とにかく口論で勝たなければいけない、言い負かした方が勝者であり、そうでなければ金銭的・精神的な損を甘んじて受けなければいけない、そうした文化に辟易していたのです。
 日本人の特質である謙虚さや、お互いに折れて譲り合うといった美徳は、弱さと同じ要素になりがちでした。
 もしも今後もこの地で生きていくなら、「心までニューヨーク化しなければいけない」、それは大きな選択でした。

 決定的だったのは、ゲイブリエルが消えたことでした。
 一カ月ほどインドを旅して帰ってくると、彼の住んでいたアパートは黒焦げの廃墟となり、黄色いテープが張り巡らされて立ち入り禁止になっていました。
 近所のデリの店員に聞いても、ゲイブリエルは焼け死んだのか、何処かで生きているのかも分からず、途方に暮れました。
 ニューヨークとは、人がやって来て、去っていく、そんな所なのだとつくづく思わされました。

 渡米して10年と6ヶ月後、私は以前そうしたように大きなスーツケースに入るだけの 荷物を押し込み、住み慣れた91丁目のアパートを出ました。
 一度だけ振り返り、ついさっきまで居たはずの住処を見上げると、さすがに色々な思いがこみ上げてきました。

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【8】 開運なび

 帰国しても何か当てがあるわけではなく、また生活はゼロからのリセットです。
 お金はおろか、持ち物もほとんどありません。
 ニューヨークで住んでいた部屋は、家財道具も含めて友人にそっくりそのまま渡してきたのです。10年間も溜め込んだ物品を捨てたり、いろいろな手続きをするよりはずっと簡単で、お互いにメリットがあることでした。
 せっかく集めた石も、興味がなければ捨てて良いという約束で、ひとつ残らず置いてきました。思い入れのある品も多かったのですが、それだけに、その場で終わりにしたかったのです。

 それでも、私の手元には石がやって来ました。
 太陽ルチルを内包した見事な原石です。
 ゲイブリエルのコレクションのひとつで、一目見て欲しかったのですが、何度譲ってくれと言っても、彼はいつも面白そうに笑って「Not yet(まだ駄目だ)」と言うばかりだったのです。
 帰国して半年ほど経ったころ、アメリカから郵便小包が届き、開けてみると、それが飛び出して来たのです。
 差出人は記載なし。宛名はスペルを間違えたタイプ打ちの紙が貼られています。
 ニューヨークに住む友人に頼んで見に行ってもらいましたが、ゲイブリエルの住んでいたアパートは黒こげのままでした。
 私は石に感謝しました。

 そのときから、いろいろな物事が急速に展開し始めたように思います。
 とある出版社でパワースポットに関する本を作り、将来を共にする伴侶と出会い、一緒にインターネットを通じて起業することになりました。
 もちろん石に関するサイトです。私たちの手元には、不思議なくらい次々と石が集まり出していました。

 サイトのテーマはいろいろ考えた末に、「開運」というキーワードに決めました。 開運とは、棚ぼた式に幸運が降りてくるという意味ではありません。 自ら道を切り開く自助努力、セルフヘルプと同義です。

 その頃はまだ、パワーストーンやスピリチュアルグッズを扱う分野は、どこか暗く内にこもったイメージで、オカルトマニア的な見られ方をしていました。
 また、そのころしばしば聞かれた言葉が「閉塞感」で、何事も状況をネガティブに捉えるような風潮ばかりが目に付きました。
 外国から帰ってくると、日本ほど素晴らしく機能している社会はないのに、どうしてこんなに内向きな発想をしがちな人が多いのだろうと、歯がゆい気持ちになりました。
 そこで、パワーストーンの仕事をするにしても、明るく、楽しく、積極的なセルフヘルプを打ち出していこうと考え、たどり着いたキーワードが「開運」だったのです。

 2002年7月に「開運なび」をオープン。
 単なるパワーストーンの販売サイトではなく、数多くある天然石の意味や伝説を解説した事典を作り、石の魅力が伝わるように凝った画像を多数載せたり、風水や星占いをなどのコンテンツもたっぷり用意して、「見て、読んで、楽しいサイト」を目指しました。
 コンテンツを書いていて思うのは、今でもドクターワンとゲイブリエルの言霊が、陰となり陽となって響いてくるということです。
 開運なびのサイトはテキスト量が異常に多いのですが、それは強烈な個性を持つあの二人の声が両耳から聞こえてきて、私がそれを整理しきれていないからなのかもしれません。

 それでもご利用頂いている方々からは、オープン当初より熱烈な応援のメールや、「開運なびさんの石のおかげで結婚できました」「天然石の奥深い世界に導いてくれてありがとう」「私に必要な石に出会えました。これも必然ですね」といったお便りをしばしば頂きます。ありがたいことです。
 私自身も天然石に囲まれた生活を送る内に、若返って来たように感じてなりません。本ページに掲載した私の写真は、今年50歳の誕生日を過ぎてから撮ったものですが、自分で思っていたより若く写っているので驚いてしまいました。

 バブルの終末期、お参りした神社で手に入れた一粒の水晶玉から始まり、ときには割れ、失い、放棄することはあっても、石は数を増やしながら再び私の手元に集まり、今も集まってきています。そう考えると、これもひとつの宿命なのだろうかと思わされます。
 まだまだ分からないことは沢山あります。
 神秘が星の数ほどあればこそ、まだ生きていく意味はあるだろうと感じます。
 いつかもっと理解が進み、もっと分かりやすく、結晶の美しさに負けない言葉で、石が伝える物語をお伝えできれば、と思います。

 長いテキストをお読み頂き、ありがとうございました。


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